ナチスが「ドイツの価値を貶める有害な書籍は抹殺すべし」として、
多くの本を燃やしたことは「焚書」として知られています。

焚書に指定された著者は1万人以上。燃やされた本は1億冊以上。
しかし、これに対抗してアメリカが、第二次世界大戦中、
戦地の兵士にそれ以上の数の本を送り届けていたことをご存じでしたか?
私もこの本で初めて知りました。

ナチスの焚書に対しては、世界的にも非難の声が上がり、
当時から「文学に対するホロコースト」「書物大虐殺」とも言われていましたが、
アメリカ図書館協会は「思想戦における最強の武器と防具は本である」として、
一般から本の寄付を募り、兵士に本を送る活動を始めたのです。
時は、折しも日本から真珠湾攻撃があった頃で、目標は1000万冊。

実はアメリカでは、こうした活動はすでに南北戦争の頃から行われていたそうで、
単に「思想戦の武器・民主主義の象徴」としての意味以上に、
兵士の気分転換・心の健康の維持・士気の高揚のために極めて有効なことを、
軍自体も理解していたのです。

戦争といっても、移動や待機の時間は想像以上に長く、そうした時間に本は打って付け。
送られた本は兵士に大人気となりました。
作者へ感謝の手紙を書く兵士も多く、年間1500通を受け取った作家もいたそうです。

しかし、集まってくるハードカバーの本は、重く扱いにくいことなどもあり、寄付活動は終了。
代わりに戦時図書審議会が生まれ、兵士が携行しやすいように、
人気文学作品などを、薄く小さく軽い本にして作り始めたのです。
名付けて「兵隊文庫」。それは、ズボンのポケットと胸ポケットに入る2サイズ。
兵舎に居るときだけでなく、戦場にまで携行し、戦闘の合間でも読めるようにしていたのです。

こうして通算1200作品以上、計1億冊以上が、戦地に送られていたのです。
さらに、焚書で本が失われたヨーロッパの解放地には、ドイツ語・フランス語・
イタリア語に翻訳した兵隊文庫も作成して送っていたというから驚きです。
その数363万冊(中国語訳・日本語訳の本も計画したそうですが、
予算不足で没になったとか)。

そして、この活動により、出征前は読書の習慣がなかった兵士も含め、
帰還後は、誰もが読書を愛するようになっていたそうです。
そして、復学・進学した人はみな優秀で、単科大学の学生は、
半分以上を復員兵が占めたという、戦後にも大きな教育的成果をもたらしたのです。

戦力だけでなく、こんなスゴイ国と戦っていた日本は、そもそも兵役時に本の携行は許されず
(アメリカもそうだったかもしれませんが)、
少なくとも本に対する認識の違いに、溜め息が出てしまいます。

ただ、訳者あとがきには、「日本も兵士用の本を製作しており、
それには江戸川乱歩の作品なども含まれていた」とだけ書かれていました。
気になってネットで調べまくったのですが、
残念ながら「本」についての情報は皆無でした。

ただ、雑誌としては、陸軍が講談社と契約して慰問雑誌『陣中倶楽部』、
海軍が文藝春秋の子会社と契約して『戦線文庫』を、いずれも月刊で発行していたようです。
人気女優が表紙に配されるなど、なかなかのものでしたが、部数は多くはなく、
どこまで末端の兵士が自由に読める環境にあったかは、ちょっと疑問です。

いずれにしても、アメリカの「戦勝図書運動」や「兵隊文庫」の活動は、
そのスケールの大きさ、発想の柔軟さ・素晴らしさには、ただただ驚くばかりです。

藤原正彦さんの著書『本屋を守れ』という本の副題は「読書は国力」でしたが、
まさに、そのことを実証した知られざる歴史的快挙だったと思います。

ちなみに、アメリカで本といえばペーパーバックが主流なのは、
実はこの兵隊文庫が起源。これまた知られざるトリビアでした。

tomeさん