「本文部分わずか120ページ余のこの本の中に、
日本がなぜあの戦争に負けたかが見事に分析されている」。
これは立花隆(立花孝志ではありません)が本書に寄せた書評で、帯にも引用されています。
まずは、日本の指導者がドイツの指導者の物真似をし、軍部が己を知らず、敵を知らず、
各国に対する見込み違いをして戦争を起こしたと指摘。
そして、日本人だけが特権を持った民族であるという神国独善思想を有していたこと、
軍部が自己の力を計らず敵の力を研究せず、自己の精神力を過大評価していたこと、
軍の指導者が、国民の良識や感覚を無視し、
国民を道連れにしたことなどを敗因として述べています。
さらに、「科学なき者の最後」として、レーダー技術をはじめ、圧倒的な科学兵器の差と、
ボトルネックを産むなど、非科学的な動員計画を立ててしまう軍のマネージメントの差も、
大きな敗因として言及しています。
驚くべきは、これを、いつ誰が書いたのか、ということです。
本書の発行は2012年となっており、副題にも「予告されていた平成日本の没落」とあります。
しかし、副題はたぶん編集者が新たに付けたもので、原本は、1945年9月に
廃墟広島で行われた講演をまとめて、1946年1月に発刊したものだったのです。
書いたのは、広島出身の永野護(ながのまもる)。
東京帝国大学卒業後、渋沢栄一の秘書・顧問弁護士となり、戦中から、
東洋製油取締役、山叶証券専務、丸宏証券会長、東京米穀取引所常務理事、
帝人など40余の役員を務め、やがて「政商」的な存在になる人物。
1942年から戦中、戦後と衆議院議員2期。1958年、第2次岸信介内閣の運輸大臣。
実弟に永野重雄(元・日本商工会議所会頭)、永野俊雄(元・五洋建設会長)、
伍堂輝雄(元・日本航空会長)、永野鎮雄(元・参議院議員)、永野治
(元・石川島播磨重工業副社長)がおり、「永野兄弟」としてそろって政財界で活躍。
1970年に亡くなりますが、毀誉褒貶相半ばする人物だったようです。
歴史家でも学者でもなかったのに、敗戦直後に、
これだけ明晰な認識・分析ができる人物がいたことは驚きですが、
むしろ、戦前・戦中から実業家・政治家として幅広く活動していたからこそ、
逆に、一般国民の知り得ない軍部・官僚の実態や海外の動向を理解でき、
深い洞察を得られていたのかもしれません。
「予告されていた平成日本の没落」という副題は、あまりピンとは来ませんが、
官僚の相変わらずの実態や、バブルで図に乗ってしまったこと、
いまだ情緒的な現状把握をしがちなことなど、
日本は同じ過ちを繰り返しているということは、言えると思います。
tomeさん 男性