問題作である。間違いなく問題作である。
その本の名は『読んでいない本について堂々と語る法』。
本書は、読まなくても題名だけで「問題作」だと堂々と語れます。
その意味で、いいタイトル、いい本であると言えるかもしれません。

「本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでいないほうがいいくらいだ」
というのが著者の考え方。
エピグラフ(扉によくある引用文)も、
「私は批評しないといけない本は読まないことにしている。読んだら影響を受けてしまうからだ。
オスカー・ワイルド」というもの。

帯の言葉は「世界の『読書家』がこっそり読んでいる大ベストセラー!」。
そう「こっそり」です。つまり「いかに人は、読んでいない本について語りたいのか、
語っているのか、語ってしまうのか」ということなのです。

本書が問題作である由縁は、テーマ設定だけでなく、
著者がどこまで本気で書いているのか、という点にもあります。
この判断は実は意外と難しく、本書はウィットに富んでいるため、
逆にかなり深読みしないと見えてきません。

取り上げている本は、ジョイス『ユリシーズ』、エーコ『薔薇の名前』、
プルースト『失われた時を求めて』、夏目漱石『吾輩は猫である』など、古今東西の約40の名作。
なんと本のなかに出てくる架空の本まで取り上げており、それらを含め、すべての本について、
文中に、下記のような略号を付けた注釈を、逐一挿入するという念の入れよう。

 <未> ぜんぜん読んだことのない本
 <流> ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
 <聞> 人から聞いたことがある本
 <忘> 読んだことはあるが忘れてしまった本

  ◎  とても良いと思った
  ◯  良いと思った
  ×  ダメだと思った
  ×× 全然ダメだと思った

著者は、フランス気鋭の文学理論家でパリ第8大学教授。
アガサ・クリスティーの作品に登場する名探偵ポワロの「妄想」に挑むミステリー論
『アクロイドを殺したのはだれか』や、
シャーロック・ホームズの推理に疑問を呈し、
ホームズとドイルの関係を分析した文学批評『シャーロック・ホームズの誤謬』
などの著書があります。

本書にも、自著が2冊取り上げられており、
『アクロイドを殺したのは誰か』には「 <忘> 〇」、
『ハムレット事件を捜査する』 には「<忘> ×」が付いておりました。
いずれも読んだことはあるが忘れてしまい、後者は「×」、つまりダメだと思ったとのこと。

さらに目次をご紹介すると

1/未読の諸段階(「読んでいない」にも色々あって…)
 ①ぜんぜん読んだことのない本
 ②ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
 ③人から聞いたことがある本
 ④読んだことはあるが忘れてしまった本

2/どんな状況でコメントするのか
 ①大勢の人の前で
 ②教師の面前で
 ③作家を前にして
 ④愛する人の前で

3/心がまえ
 ①気後れしない
 ②自分の考えを押しつける
 ③本をでっち上げる
 ④自分自身について語る

と、見ただけでもツッコミどころ満載で、やはりどこまで本気?と思ってしまう本なのです。

しかしながら、こうして本の紹介を書いていると、いつも感じます。
本を通読してしまうと、細部にまで目がいってしまい、
どこをどう紹介するか悩んでしまい、却って書きにくいものです。
むしろ、他の本や自分との関係を語ることにより、その本の全体のなかでの位置づけを語る方が、
うまく、かつ、いい紹介ができる場合が多いのです。

その意味で、読書における真実を言い当てた本といえそうです。
また、本の位置づけを大づかみに捉える力こそ「教養」だとも論じており、
自分の本の読み方に意を強くすることができました。

以前ご紹介した『積読こそが完全な読書術である』に通ずる部分が多くありますので、
ご興味があれば、あわせて読んでみてください。

tomeさん