「いま、戦争を正面から考える」。これは、2部構成になっている本書第1部のタイトルで、
元外交官で作家の佐藤優さんが、2013年11月に
当時、聖学院大学の学長だった姜尚中さんの依頼で、
大学生向けに講演した記録がもとになっています(本書出版は2015年8月)。

もう10数年前の内容になりますが、戦争が世界で当時以上に拡大している感のある昨今
、「日本で戦争をすることを決めるのは誰なのか」「国民を戦争支持者として動員するには
どう働きかけを行うのか」という問いに答える本書は、
むしろ今こそ読まれるべき本だと思います。

当時は、安部内閣のもと、安保法制に関して国民的議論になっており、
講演のあった直後に、国家安全保障会議 (NSC)が国会で成立し創設されました。
実はこれこそが、「戦争をするかしないか決める組織」であり、
「この法案が成立したということは、日本が戦争のできる状態になっているということを
意味する」と佐藤さんはいいます。

この会議の議長は、内閣総理大臣のようですから、
その承認なくして戦争には進まないでしょうが、
国会の承認なく進んでしまうことは大いにあり得ます。

戦争は突発的な事態も多く、
国家機密の名のもとに判断するための情報も国会に与えられないでしょうから、
十分な議論も情報もないまま、事後承認するしかなくなる危惧があります。
この点に関しては、佐藤さんは言及していません。

それより深掘しているのは、2番目の、どう国民は動員されてしまうのかという点です。
その動員に使われた思想として、戦前戦中の論壇で活躍した京大の哲学者
田辺元の『歴史的現実』をとり上げています。
本書と同じく大学生に対する講演をもとにした本ですが、
「お国のために進んで死ね」という理由づけを次のように行っているそうです。

「個々人の生命は有限だ。しかし、日本という種は永遠に生き残っていく。
そんな悠久の大義に自分の命を差し出すならば、
あなたの命は日本人という種のなかで永遠に生き続けるのだ」というわけです。
佐藤さんは、これを「死者との連帯」を呼びかけるもので、
怖いのは「他人の命を奪うことに対して抵抗がほとんどなくなる」こととしています。

こう考えて積極的に戦争に参加した人もいたでしょうが、
否応なく戦場に送られたであろう多くの若者にとっても、
そう考えて自分を納得させるしかなかったに違いありません。

しかし、田辺は戦後まもなく『懺悔道としての哲学』を発表。
「日本の永遠のために身をささげよと言ったが、私にはそんなことを言う資格はなかった。
いまは懺悔してただただ自分と向き合うだけだ」と「反省」したとか。

結論として「国家や歴史、救済といった“大いなるもの”と死者を結びつける方向で
『死者との連帯』を行うと、人を殺すことに抵抗を覚えなくなるような思想を
生み出す場合がある」とし、最後に国家の問題に話をすすめます。

佐藤さんに言わせれば、「ある種の強制力を伴う利害調整機能をもった国家は必要だが、
必要悪」。国家や大義とは、やはり距離をおいて生きていく必要があり、
そのためのヒントは「社会」だといいます。
国家と社会は別物。国家が存続しなくても社会は存続でき、中間団体が強くなれば、
社会も強くなり、いい意味で国家と緊張関係がもてるようになると説くのです。

やはり、しっかり監視していないと、国家は容易に暴走してしまうことは、
歴史が証明しています。
その意味で、国家とは国民の生殺与奪の権を握る権力そのもの。
本書のタイトルは『国家のエゴ』ですが、そのエゴに取り込まれないように、
必要悪としては認めつつ、自分の信じる社会を育てていければと感じました。

なお、本書2部は、聞き手姜尚中さんによる佐藤さんへのインタビューとありますが、
インタビューというより、安保法制や抑止力、
中東・中国・韓国・沖縄をめぐる対談・議論になっています。

tomeさん

国家のエゴ 530 朝日新書

国家のエゴ 530 朝日新書

佐藤, 優, 1960-, 姜, 尚中, 1950- / 朝日新聞出版 / 2015/8