著者の奥田知志さんは、北九州市でホームレス支援を35年も続けている牧師さん。
10年以上前、NHKの番組『プロフェッショナル-仕事の流儀』で見て、
強く印象に残り、ずっと気にかかっていました。

最近、ファンである内田樹さんのブログを久しぶりに見たら、
「非人情だけど親切な人」(2024年11月11日)という記事に、
奥田さんについて書いてあるのが目に止まったのです。

「抱樸(ほうぼく/奥田さんが代表を務めるNPO)の「きぼうのまち」プロジェクトのための
クラウドファンディングがもうすぐ終わる。目標額の40%を超えたけれど、まだ足りない。
応援のメッセージを頼まれた」とのことで、こんなことを書いていました。

困っている人を助けることができる人って、どういうタイプなんだろう。・・・
僕は「情に篤い人」じゃない。僕には人の心の中がよくわからない。
でも、「心の中」はわからないけれど、
「お腹が空いた」とか「寒い」とか「痛い」とかいうことはわかる。
これはリアルに、切実にわかる。それはすごくつらいだろうなと思う。
それについては何とかしてあげたいと思う。

そして「僕は他人から善意を期待されると苦しい(手持ちがないから)。
でも、「いい人」にならなくても、「いい人」でなくても、奥田さんの仕事を手伝うことはできる。
奥田さんが日本の支援事業にもたらした最大の功績は
「いい人」であることは支援のための条件じゃない、という知見を教えたことだと僕は思う。」
と結んでいました。

これには「なるほど」とうなりました。
内田さんは自分は「薄情で、気配りがなく、共感力に乏しくて、想像力が欠如している。
いや、別に謙遜しているわけじゃなくて、ほんとうにそうなのだ。面と向かって言われるし」
と言いますが、私も全く同じです。
しかし、貧困や格差の現実をまのあたりにすると、
なんとかならないかといつも思っていたのも事実です。

改めて奥田さんのことをもっと知りたいと、検索して見つけたのがこの本
『「逃げおくれた」伴走者-分断された社会で人とつながる』でした。

「なぜ、30年以上も、困っている人を助け続けられるのか」。
その問いは冒頭から出てきますが、質問に窮するとして、おおむねこう続きます。

「揺るがない信念」などない。・・・「逃げ出したい」「もうやめたい」と思うこともあったが、
「出会った責任」があると自分たちに言い聞かせた。・・・
「責任を取ること」はできず「引き受ける勇気」も「逃げる勇気」もない。
結果「逃げおくれた人々」になった・・・。

「伴走者」とは、奥田さんたちが提唱し実践してきた伴走型の支援者のことであり、
だから『「逃げおくれた」伴走者』という書名がついています。

しかし、そのなかで、思いがけない出会いを経験します。
それは大変だけど不幸ではなく、逃げおくれたことに感謝さえできたといいます。
そして困窮にあえぐ人々も「逃げおくれた人々」だったのです。

現代人は逃げ足が速すぎる。「お前さんも逃げおくれ?」「そう、私も逃げおくれ」。
そんな仲間が増えたら社会は今より多少生きやすくなるのではないか。
奥田さんは、そうも語っています。

実は他にも、10年以上前から気にかかっている人がいます。
アフガニスタンに井戸を掘った医者の中村哲さんです。
本書にも、中村さんが銃撃を受け亡くなられたときの奥田さんの追悼文が出てきます。
同じバプテスト派の信徒として、
同じ北九州市の教会でつながりがあったことを初めて知りました。

「誰も行かぬなら私が行く」。そうして危険なアフガニスタンに行った中村さんでしたが、
その帰結として命を落としてしまいます。
しかし、この中村さんの言葉は、いまでも奥田さんを励まし続けています。

この尊敬すべき2人に思いを馳せ、
私はささやかながら、抱樸のサポーターになることを決めました。

tomeさん