2000年の辰巳渚さんの『捨てる技術!』に始まり、
2010年の「こんまり」こと近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』以来、
時代は、いまだ「断捨離」ブームにあります。
そんな趨勢に、文壇の大御所が「待った」をかけたのが本書です。
私も、当時新聞広告で見かけたとき、勇気ある出版だなと思いましたが、
果たして「まえがき」には、のっけから「この本を書くには勇気がいりました。」と書かれていました。
さらに「ぼくは、ひねくれた人間です。流行に逆らうことに
ひそかな生き甲斐を感じてきたようなところがあります」とも。
私もその傾向はありますが、「病院には行かない」とか「髪を洗わない」とか、
かなり変人というウワサは聞いたことがあります。
2022年の出版と、多少経っていますが、
たまたま移動図書館の本棚で見つけ、新聞広告を思い出し読んでみた次第です。
著者は五木寛之さん。団塊の世代には、1966年のデビュー作『さらばモスクワ愚連隊』や
翌年の直木賞受賞作『蒼ざめた馬を見よ』でおなじみ。
少し後の世代の私も、高校時代に『青春の門』を読んだり、映画を見た記憶があります。
また、仏教への関心も高く、『蓮如』『親鸞』などの小説も発表しています。
さらに、ベストセラー『大河の一滴』(1998年)など、エッセイストとしても活躍。
『日刊ゲンダイ』のコラム『流されゆく日々』は、1975年の同紙創刊以来、毎号掲載され、
2008年に「連載8000回の世界最長コラム」としてギネス記録に認定されたとか。
しかし、驚くべきことに、その後も続いており、2026年1月で、
連載は約12,200回以上に達しています。
現在93歳ですが、健筆をふるい続け、これを毎日書くことが健康の秘訣のようです。
さて、著者紹介はこのくらいにして、本書の内容ですが、主張は想定通り意外にシンプル。
モノは、その人の生きてきた記憶を呼び覚ます媒体・依代(よりしろ)であり、
それに囲まれて暮らすことは、とくに人生の後半期においては幸せなことだというもの。
著者自身、そうしたモノを多数捨てずに保有しており、各章末には、
「ぼくのガラクタたち」と題して、使っていないシュー・キーパー、ペルシャのかるた、
売れ残りのシャツ(着たことなし)、金沢の「雪吊り」テレカなど6点を
写真入で紹介する念の入れよう。
モットーは「ひとつのことを投げ捨てずに続けること」。
モノを捨てないことも、持ち続けることで同じ。
そして、モノや記憶は、孤独を癒すだけではなく、ときには大きな力にもなるとも言います。
おもしろいのは、「ヒトとの関係」と「モノとの関係」は同じとして、
ガラクタを自分の所有物だと思っていない、
偏愛もない、対等な友人関係だと言っていること。
たしかにそう考えれば、著者の気持ちもより理解できます。
また、仏教のこだわりや執着を捨てる考え方にも言及し、
日本には、武士道を含め捨てる伝統があるとまで書いていますが、
親鸞も捨てることの難しさは知っていたとして
「生きている限り執着は消えない」と肯定しています。
本書の構成は、
第1章 モノやヒトとの距離感
第2章 人生百年時代は「ガラクタ」とともに生きる
第3章 私流・捨てない生活
第4章 捨てることの難しさ
第5章 失われつつある、町の記憶
第6章 この国が捨ててきたもの
となっており、5章・6章は、テーマに関連して
、もっぱら古き良きものの大切さや魅力を語るエッセイ。
1冊になるように、足りない分量を書き足した感があります(失礼!)。
思えば、2005年に、ワンガリ・マータイさんのノーベル平和賞受賞をきっかけに
「もったいない」も流行りかけたことがありました。
しかし、これだけモノがあふれている時代、「断捨離」にはかないませんでしたが、
やはり何事も程度問題。ゴミ屋敷になっては困りますが、思いがあって捨てられないものは、
その人の人生を彩り、ときには伴走してきたパートナーで、ある意味生きた証。
老後に思い出す楽しみのために、多少は取っておくのは当然ありだと思います。
とはいえ、この「多少」がどの程度かが、実は難しいところではありますが。
ちなみに、モノを集めるコレクターは、また違った意味づけでモノを大事にします。
どんなものでも、大量に網羅的に集めることにより、
そこに新たな付加価値が発生するからです。
そのあたりにご興味のある方は、以前ご紹介した
長山靖生『おたくの本懐 「集める」ことの叡知と冒険』も、是非お読みください。
tomeさん





