2009~11年に放送されたドラマ『坂の上の雲』が、
2024年9月から25年3月に再放送されました。
その冒頭ナレーションは、強く印象に残っており、以下に一部を引用します。
「まことに小さな国が開化期を迎えようとしている。
小さな、といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう(中略)。
明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものをもった。
誰もが「国民」になった。不馴れながら「国民」になった日本人たちは、
日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。」
司馬遼太郎は、こうして「国民国家」の形成に成功し、
「脱亜入欧」を成し遂げていく明治国家を高く評価していました。
もちろん、日本が欧米の植民地にならずに済んだことは、大きな成果です。
しかし、『坂の上の雲』で描かれた日露戦争を転換点に、
国民のナショナリズムが暴走、それを背景に軍部も統帥権を旗印に暴走していき、
悲惨な戦争を引き起こしたことは、ご存じの通りです。その昭和前期を、
司馬遼太郎は、明治と非連続の「鬼胎(もしくは異胎)の時代」として問題視、
そのせいか、昭和時代の小説を書くことはありませんでした。
司馬文学の愛読者にとっては、あまり関心のない話だったかもしれませんが、
テレビでも活躍する歴史家の磯田道史さんは、
本書で「司馬遼太郎は、読んだ人間を動かし、
次の時代の歴史に影響を及ぼす数少ない『歴史をつくる歴史家』だった」
と評して、その影響力について、他の歴史家・作家と一線を画するとしています。
史上最初のそうした歴史家は、
『太平記』で楠木正成を忠義の士として描いた小島法師以後、
『日本外史』を書いた頼山陽、『近世日本国民史』を書いた徳富蘇峰、
そして司馬遼太郎の3人しかいないと述べています。
たしかに、「昭和前期は誰にも苦難を強いた時代だったが、
明治は古き善き時代だった」との考え方は、
司馬文学の影響のせいか、多くの国民に広がっている気がします。
しかし、磯田さんは、昭和の「鬼胎」は、すでに明治時代から萌芽があったと指摘します。
そのひとつが、明治維新の功労者や、日露戦争後100人もの軍人を、
大名や公家より爵位が高い「華族」にしたことです。
明治維新で天皇の下で国民平等を実現するはずが、世襲が行なわれていたのです。
軍人での立身出世をめざした人たちは、軍で失業するわけにもいかず、
大きいままの軍を維持して、新しい仮想敵を求めるようになっていきます。
ほかにも、国家モデルの目標をプロイセン・ドイツ型にしてしまったこともあります。
司馬遼太郎は、江戸の多様性という遺産が明治国家を育てたと評価していました。
たしかに、明治初期は、陸軍はフランスに、海軍はイギリスに、
国家制度はドイツに学ぶという多様性がありました。
しかし、明治14年の政変(1881年)で、伊藤博文が大隈重信を追い出し、
「軍隊が国家を動かしている」ようなドイツ型に一本化します。
こうして「病魔のもととなる菌」が植え付けられたというのが磯田さんの見立てです。
以上、磯田さんの「司馬史観」に対する疑問を中心にご紹介してしまいましたが、
本書のタイトルは『「司馬遼太郎」に学ぶ日本史』。
戦国、幕末、明治、昭和前期を扱った作品を順に取り上げながら、
それを入口に日本史を学び、
司馬遼太郎が本当に伝えたかったことを読み解いている本です。
司馬遼太郎の本をたくさん読んでいる人にはもちろん、
司馬遼太郎の本を読んだことのない人にも、影響力が大きかった彼が
何を考え、何を書き、何を伝えようとしていたのかを知るために、おすすめできる本です。
tomeさん