リベラリズムとは、個人の自由を尊重する立場です。
ただ、これだけだと経済的な新自由主義とイメージがオーバーラップしがちなので、
多様性を尊重する考え方と言い換えてもいいかと個人的には思います。

近年は、海外だけでなく国内でも「〇〇ファースト」が流行り、
リベラルな考え方は人気がありません。
著者は、これをリベラリズムの思想に構造的限界があるからだと問題提起します。

その例として取り上げられているのが、婚姻の形態の問題。
アメリカには、モルモン原理主義者を中心に、
一夫多妻生活を送っている人たちが3~4万人いるそうですが、
リベラリズムは同性婚は許容するのに、彼らの一夫多妻制は許容していないのではないか、
リベラル派自身が、無意識のうちに自由の適用範囲を限定しているのではないか、
ダブルスタンダードなのではないかと指摘するのです。

これをもってリベラリズムの構造的・思想的限界といえるのかどうかは若干疑問も感じます。
簡単ではないにせよ、現状のリベラル派が謙虚に自覚的に対応し取り組んでいければ、
解消可能なことである気もします。

それよりも、本書で一番印象に残ったのは、
リベラリズムとは「他人に迷惑や危害をあたえないかぎり、
たとえその行為が他人にとって不愉快なものであったとしても、
社会は各人の自由を制限してはならない」という哲学原理のことである、
という記述です。

外国人排斥の動きについては、実際に迷惑を受けている場合も多分にあると思いますが、
嫌悪感や不愉快であることから排斥してしまっているケースも少なくないと感じます。
その意味で、リベラルであろうとするならば、つまり個人の自由や多様性を認めるならば、
具体的な被害がない限り、自分の価値観にもとづく嫌悪感や不快感は、
ぐっと我慢する覚悟が必要だということです。

そう、実はリベラリズムは、リベラリズムを受け入れる覚悟なしには成り立たないのです。
そうした覚悟がないままに安易に自分は正しいとリベラルな主張をする人が多いから、
傲慢だとか、「他人には厳しく、自分たちには甘い」とかの批判を受けるのです。

著者自身は必ずしも「反リベラリズム」の立場ではなく、
リベラリズムの良い部分を活かし、思想そのものの再構築しようと考えています。
その意味で、リベラリズムに興味・関心のある人には、
是非読んでもらいたい良書だと言えるでしょう。

tomeさん