本書のタイトルは、『おたくの本懐-「集める」ことの叡知と冒険』。
「おたく」とは、元々、相手の家を指す敬称の「お宅」でしたが、
1950年代から、相手個人を指す若者言葉として広がってきたようです。

しかし、1983年に、コラムニストの中森明夫が、
コミケ(コミックマーケット)に集まる若者を「おたく」として揶揄したことから、
否定的な意味合いで知られるようになりました。

決定的だったのは、連続幼女誘拐殺人事件で1989年に逮捕された宮崎勤。
彼が6000本近い特撮・アニメ・ホラーなどのビデオテープを保有していたことから、
「おたく=変質者・犯罪者予備軍」というイメージが定着したのです
(当時、NHKでは「おたく」は、なんと放送禁止用語になっていたとか)。

しかし、「おたく」の主要テーマであるサブカルチャーは、
1990年以降、次第にメインストリームに進出。
1996年には、「オタキング」と言われた岡田斗司夫が
東大で「オタク文化論」の講座を持つほどになり、
いまやマンガ・アニメ・ゲームなどのサブカルチャーは、市場規模も拡大し、
世界に冠たる日本の有力コンテンツにまで成長しました。

それに伴い「おたく」も「オタク」となり、悪いイメージは払拭され、
「ファン」「マニア」と同義になって、鉄道ファンも「鉄オタ」などと言われるようになり、
さらに「アイドルオタク」から「推し」も派生しているのは、ご存じの通りです。

のっけから「おたく」の歴史レビューになってしまいましたが、
本書の成り立ちを考えるうえで、実は、大きな関係があります。
本書は実は、1992年に『コレクターシップ』(著者の造語)の名で出された本で、
2005年に文庫化されるにあたり、『おたくの本懐』に改題されたのです。
そのため、文庫には「プロローグ」の前に、「プレ・プロローグ」として
「その頃、なぜ私はおたくを弁護しなければならなかったのか」が追加されているのです。

そこで著者は、「愛する対象が何であれ
『自分の、自分による、自分のための』耽溺は、みんなおたくである」とし、
「そのような一見消費的なおたく精神こそが、
『文化』にとって真に生産的なものなのだ」と述べています。

通常「おたく」とは、「アニメ、漫画、ゲーム、アイドルなど、特定の対象に深く熱中し、
その対象に関する知識や情報を集め、時には創作活動や情報発信活動を行う人々」
と定義されるようです。

しかし、本書で特徴的なのは、
「プロローグ」のタイトルが「なぜ量は叡知であるのか」が示すように、
物を集めることこそが「おたく」の特質・本質としている点です。

そして著者は「おたくとコレクターをイコールで結ぶのが正しいのかどうかは、分からない。
ただ,何かを集め、好きなことに没頭したいという情熱は、
人間にとって本質的なもの」だとして、本書で、歴史上のコレクター、
すなわち「元祖おたく」とその偉業に出会う旅を続けるのです。

登場するのは、最後の殿様徳川義親から、柳田国男、南方熊楠、
そして澁澤龍彦、赤瀬川原平、荒俣宏まで約20人。
その意味で、本書は、「おたく」の「蒐集への情熱」という側面に注目し、
いまの「おたく」に通底する長い前史を詳しく描き出している点で、
他に類を見ないユニークな書と言えると思います。

tomeさん