星野道夫さんと言えば、冒険家ですが、写真家のイメージが強いですか?文筆家のイメージが強いですか?
私の出会いは小学校の国語の教科書。たくさんの文字の中に、ちょっとだけ写真があったから、文筆家のイメージが強いのです。
星野道夫(1952~96)
夏目漱石と同じように亡くなった人扱いされていたが、えっ若くして亡くなったんだ。息子さん、ひょっとしたら同じ年か!と驚いた。
学校の先生は、「熊に襲われて亡くなったんだ。好きなことをやって亡くなった」と紹介。
まぁ~普通の人は行かない辺鄙なところにわざわざ行って、そうなったんだから、まぁ好き勝手なんかと思ったが、
世界の辺境の場所には、彼を惹きつける何かがあったんだろうなぁ~と、「好き勝手だけじゃないだろう」という気持ちがあった。
ところで、音楽家のharuka nakamuraさんをご存知だろうか。
昨年見た、「ガウディ展」きっかけで好きになり、nakamuraさんが星野さんの写真とコラボした企画(「旅をする音楽」)をやっているという情報を見て、
一回、星野さんの文章をちゃんと読んでみようと思ったので、読みました。
この文庫本には一切写真がありません(あっても良かったのになぁ~とも思う※単行本の方にはあるようです)。
なのに、星野さんの文を読むだけで、行ったことのないアラスカの風景や、星野さんが出会った人物の顔を勝手に想像できてしまう。
まるで手紙のように、読者に対して丁寧に綴っているからでしょう。
国語の教科書で読んだ、「アラスカとの出会い」があり、懐かしかったです。
意外だったのは、星野さんは「現代人」を完全に脱し、アラスカの人々と一体化している……訳でもないんです。
「アーミッシュの人びと」のページで特にそう思いました。
日本の現代人の感覚を持ちながら、でも、「こんな世界もあるんです」「こんな世界が急激に変わっていくんだな」と、過ぎ去っていく風景を描いている。
夕日に照らされる家々が美しいように、夜の家々の灯に生活を感じるように、アラスカの人々や自然を愛おしいと思っている。
故人だし、なんだか遠い存在に思えていた、「星野道夫」さんが、近くなりました。
冷え性なので食べ物を口にすると身体が温まってありがたいなぁ~とよく思うのですが、
生き物は他の生命体の命を取り込んでいることだと思うと、本当にありがたく思います。
マツユキソウさん 30歳