Facebookの影響か、
「シェア」という言葉が一般的になって久しい。
「コミュニケーション」と言えば、
Facebookの「いいね!」に代表されるような
「共感」を求めるものを意味することが多いように感じる。
確かに「いいね!」をもらえると嬉しいが、
私は、自分自身が持ち得ない視点を得たり、
違う考え方に触れることで、自分の考えを研ぎ澄ませたり、
といったような「違うこと」から生まれるコミュニケーションが好きだ。
そこには、「自分の感覚は自分に固有のものだ」という意識があって、
それが多くの人と合致する場合もあるけれど、
基本的には他人と自分は違うものだ、という前提を持っているからだ。
ということもあり、積極的に「シェア」というものをしない。
共感のコミュニケーションが前提になっている社会において、
自分固有の考え方を披露しても、たいていは「?」で終わってしまうからだ。
おそらく、平田オリザさんも「会話」以上に
「対話」の必要性を感じていらっしゃる方のひとりなのだと思う。
ひとりひとりが違うという前提の中で、
安全にお互いの考えを深めていけるような在り方が
もっと拡がれば、確実に世界は豊かになると思う。
自分の発した言葉が、相手に反射して、問いになったり、
思わぬアイデアを生んだり、気付きを得たり。
そういった経験は、ものすごく人間を豊かにするし、
人間が持つ知性の力を感じられる時間でもある。
話にオチをつけよう、笑わせよう、納得させよう。
そんな表層的な意図の力などすっ飛ぶくらいの
深い気付きの力が働くときがある。
その力が働くことを信じ、ただ身を任せて、
ただお互いの会話を受け止めあえたらいいのになぁと願う。
sluníčkoさん 43歳 女性