本書は、日本人である著者がアメリカの大学で「日本の中のアメリカ」を講義した、
劇中劇?のような記録がもとになっています。

まず印象に残るのは、そもそものアメリカ論として、
西へ西へと膨張し続けるアメリカン・スピリッツ。
西部劇に代表される「西部開拓」の話ですが、
先住民の強制移住や虐殺を伴ったものだったことは周知の事実。
それは「西部侵略」にほかなりませんが、
いまでは「西漸運動」というニュートラル?な言い方がされているとか。

この膨張のエネルギーは、「マニフェスト・ディスティニー(明白なる運命)」として、
まさにアメリカのDNA。神の定めとされていたのですが、
実は妄想に過ぎなかったのかもしれません。

とまれ、カルフォルニアに達した「西漸運動」は、
太平洋を飛び越え、日本にも達し、ペリーの「遠征」となる訳ですが、
実は、太平洋航路には安全や補給がまだ確保できていなかったため、
東回りで半年以上をかけて日本に来たというのは興味深い話です。

このとき以来、日本はユーラシア東端の国から、太平洋西端の国へと、脱亜入欧ならぬ、
脱亜入米に、自己意識を旋回していくことになるのです。

以上は、あくまでもイントロで、本論では、
下記のような興味深い歴史的事実と分析が多数示されています。

・すでに1860年に幕府は、遣米使節団を送り、技術を取り入れ、軍の近代化を進めていた
・当時、捕鯨産業はアメリカの一大産業で、日本近海は好漁場だったため、
 ペリー来航以前から、捕鯨を通じて日米の交流や小笠原をめぐる駆け引きがあった
・ハードード大学など歴史ある大学の多くは、布教に向けた宣教師養成のためにつくられ、
 日本の多くのミッション系大学もそうであった。
・1920年代の日本は、ハリウッド映画の影響もあり、
 「モダンガール」を始め、アメリカ文化が席巻していた。
 谷崎潤一郎の『痴人の愛』は、まさにハリウッド映画からの引用だとか。などなど。

とくに驚くべきは、戦時のアメリカ人の日本人認識。
日本人のアメリカ人認識は「鬼畜米英」=「鬼」であったのに対し、
アメリカ人には、黄色人種を脅威とする「黄禍論」がベースにあり、
日本人は、野蛮な帝国の「黄色い猿」だったこと。

この露骨な人種主義は、戦争末期、日本人の殺戮は「殺人」ではなく「狩り」として、
正当化にもつながっていたようです。
その意味では、ヒトラーのホロコーストと大差なく感じます。

戦後の日米関係についても、天皇を巧みに活用したマッカーサーのメディア戦略や、
原子力を恐怖のシンボルから復興の希望のシンボルに転換したキャンペーンなど、
読むほどに歴史の綾を感じさせます。

最後は、戦後日本におけるアメリカの象徴的存在として、
忠誠・愛国のシンボルとして大衆化・神聖化された星条旗、
日本では通俗的な記号・欲望のキッチュ(紛い物)と化した自由の女神、
そして「アメリカの幻想」を再演しているディズニーランドの3つを取り上げ、
アメリカ文化の日本への浸透を分析。

著者は、2007年に『親米と反米』という本も出しており、
本書はその続編とも言える新刊。
日本にとってアメリカとは何かを考えるには最適な一冊と言えそうです。

tomeさん